赤い靴の歌詞の意味は?悲しい歌だった!?



赤い靴の歌詞の意味は?

赤い靴〜♪履〜いてた〜♪女の子〜♪

誰もが小さい頃に一度は口ずさんだり、

親、親戚が歌ってくれた童謡「赤い靴」です。

 

この歌詞の意味には、悲しい物語があったのは知っていますか?

(諸説ありますが、僕は今回ご紹介する話が本当だと思っています。)

 

 

 

童謡「赤い靴」とは?

「赤い靴」は1922年(大正11年)発表の童謡です。

作詞:野口雨情(のぐちうじょう)、作曲:本居長世(もとおりながよ)が作りました。



どこかで一度は聞いたことがありませんか?

 

赤い靴 はいてた
女の子
異人さんに つれられて
行っちゃった

横浜の 埠頭から
船に乗って
異人さんに つれられて
行っちゃった

今では 青い目に
なっちゃって
異人さんのお国に
いるんだろ

赤い靴 見るたび
考える
異人さんに逢うたび
考える

歌詞だけを読んでみても、非常に悲しい歌だというのが

分かると思います。

 

 

 

「赤い靴」の歌詞に込められた本当の意味とは?

女の子は連れられてどこへ行ってしまたのか?

 

この女の子のお父さん、お母さんはどうして連れられて行くのに

なにもしていないのか?

 

いろんな疑問が湧いてきませんか?

それはこの歌詞のベースになったお話を知ればわかるでしょう。

 

 

童謡「赤い靴」のベースになったお話

この歌詞に登場する女の子とは静岡県生まれの「岩崎きみ」ちゃん

という女の子です。

「きみ」ちゃんのお母さんは「岩崎かよ」という方でした。

 

今の世間で言うシングルマザーとして育てていました。

 

やがてこの二人は当時開拓されて間もない北海道へと渡ります。

北海道で鈴木志郎と結婚をしましたが、

家族にとっては厳しい生活が待っていました。

 

「きみ」が3歳になった時、母「かよ」は知り合いの人づてに

宣教師のヒュエット夫妻に預けることにしました。

ヒュエット夫妻は本国アメリカへ帰国する予定でした。

 

月日は流れ、鈴木夫妻は作詞家、野口雨情と仕事の関係で知り合い、

その時に鈴木夫妻から

「かよの娘であった、きみがアメリカ人宣教師に連れられてアメリカへ渡った」

という会話があったのだそうです。

 

その話を元に野口雨情は「赤い靴」の作曲を行い、

その後、本居長世によって作曲されました。

 

この曲の元になった話はこれだけではありません。

悲しい結末があったのです。

 

 

 

悲しい結末とは?

実は 「きみ」はヒュエット夫妻に預けられた後、

アメリカへは渡っていなかったのです。

ヒュエット夫妻が帰国するとき、「きみ」は結核にかかっており、アメリカへ連れて

行くことができませんでした。

 

「きみ」は鳥居坂教会の孤児院に預けられ、9歳で亡くなっています。

 

そして、母「かよ」はこの事実を知らないままこの世を去っています。

同じ、日本にいるのに母の見舞いも看病もなく

「きみ」はとても悲しく、寂しかったのではないでしょうか。

 

 

 

各地に残る「赤い靴の女の子」の像

この事実が全国に広まったのは約40年前です。

その後、この話にまつわる各地では「赤い靴の女の子」の銅像が

立てらています。

 

1979年に横浜の山下公園に最初、建てられました。

今では静岡、函館など6箇所に建てられています。

 

赤い靴を履いてた女の子像
赤い靴を履いてた女の子像 / AUSGANG SOFT


 

興味のある方はそれぞれの場所を巡ってもいいのではないでしょうか?


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お疲れ様でした。
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